示  孫      孫に示す
元知浮生万事空 はじめて浮世を知りて万事空しく
難断慈孫滞胸中 孫を慈しむこと胸中に滞まるを断ち難
後来業成遂学日 後来業成り遂げる日に
墓前無忘告乃翁 墓前なんじの翁に告ぐるを忘れることなかれ
 昭和丁巳夏    昭和52年夏
 保  軒  雅号
 牟岐 志明  志明 字名

 左の書は、牟岐 風Y先生直筆です。

   書に関して小野寺 苓さんのエッセイより(抜粋)

 ・・・・・・・弟は、父はすでに自分の葬式用の引き出物を準備していると言う。
 今はほとんど寝たままの父は、何年か前の元気なころに百枚の書を書き、これを葬儀にきた人に
  やってくれと言ったのだ。漢学を学んだ父は漢詩を作った。若いころ、字の下手だった父は発奮して
  書を習い、人前に出せるような字を書けるようになったのだという話はたびたび聞かされた。
   私たち兄妹はそろって字が下手でその筋の悪さの恨みごとを父に言うと、父は決まって努力が
  足りないと叱った。


   あるとき、父の生家の甥が家を新築するので座敷の襖を父の書で埋めたいと言ってきた
 
父は喜んでその頼みを引き受け、毎日筆を持って廊下いっぱいに和紙をひろげて書いた。
 
最初は自分の漢詩を書いていたが、大きな座敷を埋めるには自作の詩だけでは間に合わず、
  南州の詩や唐詩選から引っぱりだしていた。
  父の生家の座敷は襖はお寺のように漢詩で埋めつくされている。たぶんそのころ、父は自分の
  葬儀の引き出物を思いついたにちがいない。

 
私は弟から聞いて初めて父の準備を知ったのである。私はそのときは何も知らずに勝手に父に
  ねだって何枚かの書をもらってきて、近所の表具師に頼んで掛け軸に作ってもらった。
   それは教学の荒廃を嘆ずる詩であったり孫に示す詩であったりして、私は折々に床の間に下げ
  て読んでいたのだが
  百枚も弟が保存していることは知らなかった。・・・・・・・・
 

                     横田 英司氏(新11回生)に訓み下して頂きました。