岩手県第二滑空訓練所

太平洋戦争も日増しに熾烈を極めてきた頃(昭和18年)、六原青年道場に滑空訓練場が開設された。
15町歩(15ヘクタール)の農場ブロックを2枚続けて整地された広場が滑空訓練場である
場内には2機の初級機が用意されていた。
青教生は晴天の日は毎日のように、午前は朝早くから、午後は夕方遅くまで・秋の日をあびながら、
2つの班編成で、「課目、高度〇〇メートル直線滑空」「引け」「一二、三……駈歩一二、一二……」「放せ」の連続で訓練。
初級機の搭乗時間数が何時間かで合格証が受けられ、更に中級機に搭乗して、
高度100米の上空をS字旋回するのが目標でもあった(中級機も同時に配置され、同じ場所で訓練されていた)。
やがては軍隊にはいって操縦見習士官になることを夢にみながら訓練にはげんだ。

鎌田 英雄薯「青雲の雄叫び」より引用