平成3年5月1日発行 記念誌寄稿より引用



鹿児島インターハイの思い出      目時 隆士 昭和45年卒業(新22回生)



   
   昭和57年全国高校総合体育大会へ岩手県代表として県高総体で優勝しインターハイへ出場したチーム

  は、男子、専修大学北上高校、女子、若手県立金ケ崎高校で、共に初出場同志で、専大北上高校監督で

  ある渡辺先生と手を取り合って喜んだ日々を思い出されます。

   南国の地である鹿児島インターハイへ出場を目標に、日夜、生徒と一丸となって補強、技術面、精神

  面を鍛練し大会へのぞみました。出場にあたっての思い出として、すでに9年ほど経った今、記憶が定

  でないのですが、公式練習の時、我々のチームは、全国規定問題を必至の思いでマスターしようと練習

  ておりました。練習交代のコールで、つぎのチーム、東京代表、国学院高校でした。その当時、国学

  院高校は優勝候補ということで、−諸に公式練習が来、又合宿も同じで光栄に思っておりました。

   いざ練習が始まると規定の練習はせず、平均台に上るかいなや、側転からダブル宙返り着地と、もの

  のみごとに補助者もつかないで1人で練習しておりました。このような演技を目の前で見せつけられ、

  まさにレベルの相違を感じ、素晴らしいなあ〜とい気持と裏腹に、挫折感さえ感じられ、今でも鮮明

  にその当時のことが記憶されております。しかしながら生徒達は、そのような思いもなく岩

  手代表選手として、自己の持っている技を十分に発揮しました。「自己の最高得点が出た!」と喜び、

  全国大会初出場で高校生活最後の演技に満足げな笑顔が、監督として、せめてもの慰めを感じました。

   最後に岩手の体操が一層の発展をするよう御期待申し上げます。