「伝統のメカニズム」
     
       小林陵二  昭和26年卒(新3回)





      学校の部活で、試合に強い伝統ある部は、年々、選手が卒業し新しく後輩
     入れ代っても依然として試合に強い。それはなぜなのだろうかと思うことがある。         
 
        わたくしは、体格が特に優れていたわけでもないのに、1950年夏の全日本体
     操選手権大会(神奈川県)で思い掛けなく高校男子徒手(現在の床運動)で第1
     位になった。周囲にとっても思い掛けないことであったが、地元のマスコミも

     応がいまひとつ、今日のような盛岡駅頭での華々しい出迎えもなかった。

 

      当時、岩手県の体操界は学校間が切磋琢磨し、急成長期にあった。連年、中
     央から講師を招いて強化講習会を開催した。岩手県女子はすでにオリンピック
     選手候補がいるなど全国的に活躍していたが、肩身の狭かった高校男子チーム
     (米内 弘(盛岡高)、斎藤 勉(岩手高)、小林陵二(岩手高))は1950
     年秋の第5回国民体育大会(愛知県)で団体総合第3位というそれまでの最高の
     成績を挙げ、個人種目別でも多くの高位の成績を残した。


      岩手高校の体操の伝統はどのようにして培われたのか。それには、わたくし
     の先輩の方達から始まる何年にもわたって積み上げられた多層の技のレベルア
     ップがあった。先輩が成し遂げたレベルを後輩が教わって更なるアップにつな
     げる。その積み重ねが全国大会での成績に反映したと言えるであろう。一個人
     ではゼロからトップまですべてを新たに習得できるものではない。部活で、毎
     日の先輩と一緒の練習の中で順々に受け継がれてきたと思う。加えて、よいチ
     ームワークを長年にわたって持続するには、それを指導・監督する人の役割が
     非常に大きい。わたくしの時代にそういう優れた方々に恵まれたのは幸いであ

     った。



      最近は、将棋など母校の多くのクラブが記録的活躍をしていると聞く。一見、
     個人競技のようでもそれがチームワークになれば個人以上の力が発揮される。
     団体競技でも同様のことが言える。それが伝統というものであろう。母校の活
     躍は、校内のみならず卒業した同窓生も元気をもらうので、大変うれしいこと
     である。







強化講習会(昭和23年) 昭和25年 昭和26年
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   昭和23年 第3回県中等学校競技会 男子団体 1位 岩手高校 出場
   昭和24年 第1回高総体 団体体操 1位 岩手高校 出場
   昭和25年 第2回高総体 体操競技男子  個人1位

   昭和24年 第1回県民体育大会 団体体操 男子1位岩手高校 出場
   昭和25年 第2回県民体育大会 体操競技 男子1位
   昭和26年 第3回県民体育大会 体操競技 一般男子1位

   昭和25年 第3回東北大会(岩手) 体操競技高校男子団体 優勝 出場
                            個人2位
                            種目別徒手、平行棒1位  つり輪2位  とび箱3位
   昭和27年 第5回東北大会 体操競技成人男子 出場

   昭和24年 全国高校選手権大会 高校男子団体 出場
   昭和25年 全国高校選手権大会(神奈川) 体操男子高校個人 総合6位 徒手1位

   昭和25年 国体(愛知) 男子団体3位 出場
             平行棒1位  鉄棒4位