「優勝を逃がした高体連の思い出」 

         小沢龍生  昭和30年卒(7回生)





      昭和24年4月、岩手中学校に入学した私は1年生の時水泳部に入部した。当時学校
     にはプールがなく、高松の池で泳いだ。初泳ぎは6月17日頃だったと記憶している。
     上級生と共に、池の排水門の対岸の赤土と呼ばれるところを脱衣場所にして、ここから
     排水門まで往復泳ぐことになった。池の水は冷たく復路半分位まで泳いだころ、力尽き
     て水を多量飲み込み、溺れてしまった。一緒に泳いだ同じクラスの吉田重治君に助けら
     れ命拾いをした。この時は死ぬかと思った。


      しばらく水泳は中止、2年になって体操部から勧誘があり入部することになった。以
     後体操部員として高校卒業まで活動することになった。


      昭和29年(高校3年)の高体連の器械体操は胆沢町南都田で開催された。指導監督
     の足沢先生は役員として試合前日には胆沢町行って学校は不在となった。先生からは予
     め指示されていたことは、試合前日は柔軟体操だけにして機械器具での練習は行わない
     ことだった。にもかかわらず、私は鉄棒の最終調整として大車輪を行い、握り手が外れ
     ふっとばされてしまった。その結果、左足を捻挫し足を引きずりながらの歩行となった。
     帰路途中、偶然佐々木孝君(クラスメート)に出合い、彼に背負われ何とか帰宅した。
     翌日(試合当日)には痛みが回復すると思い南都田の試合会場(中学校)で待機した。
     しかし、痛みは治まらず、急遽近くの診療所で痛み止めの注射をしてもらった。痛みは
     薄れて楽になり出場することになった。結果は各種目とも演技の最後の着地で崩れてし
     まい原点が大きかった。優勝候補のチームとして期待されていたが、試合前日の私の失
     策でチームや関係者を落胆させ、卒業して59年にもなるが未だに忘れることができない。



      昭和29年7月、県民体育大会で岩手高校体操部は優勝した。個人総合では小林隆が
     優勝、続いて小澤。菅森が3位と4位に入賞、岩手高校からこの3人が札幌国体に出場
     した。3人とも同じクラスメートで、体操競技のほか学校に授業は勿論、卒業後のクラ

    ス会などで顔を合わせている








体操部員と 第3回石桜体操競技会



昭和29年7月 県民体育大会で優勝