大昔の話

      菅森幸一 昭和30年卒(新7回生)





    体操岩手と喧伝された頃。

    岩手高校が秋田の能代高校に並ぶ東北の名門を自負していた頃。

    あん馬もつり輪も、まだ種目として採用されていない頃。

    手作りのあん馬や近所の鉄工所で作った平行棒が練習場の隅に残っていた頃。

    鉄棒の宙返りで降りで天井の柱が邪魔だと無断で切り取った頃。

    合宿は蚤だらけの汚い部屋で、風呂は「高松の湯」までダッシュしていた頃。

    体操好きの魚屋が「宙返り」と引き換えに晩飯用の鯖を只で呉れた頃。

    偉い先輩が犇き、中学生は練習の邪魔だと練習場から追いたてられた頃。

    あの薄汚れたマットをひきずり出すため体操部にはいった。

    そして6年間、体に染み付いたマットの匂は今も残っているような気がする。







第三回石桜体操競技会 組立体操



岩手中学2年当時((昭和25年) 体操部での演技
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