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「昔の思い出など」
小林隆 昭和30年卒(7回生) |
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その1 |
大昔のことで60年前のことを思い出せないでいます。当時米の欠配が処中であり、 |
試合のある当日の朝めしは二膳めしと茄子の糠漬け物5・6本に味噌汁、納豆があれ |
ば満足で岩手県体操競技会場まで下駄(高下駄)を履いていったことを覚えています。 |
≪高下駄≫で6年間通学したことが健脚力がついたと思ってます。 |
私は何回か希望の進学に失敗してます。少年・青年期の通学・部活動は実は収まり |
のないものでした。空元気出しているだけでした。ただ、昭和27年当時の気概が今の |
生活の一部に組み込まれていることは確かです.しかし、もう既に体操関係写真をはじ |
めアーカイブ記録書など一切放棄してしまいここにありません。シンプルな生活を極め |
ようとしています。 |
身体の方は敏捷性はなくなりましたが、かろうじて腹筋運動・逆立ち・開脚・歩くこ |
とだけは続けています。【旅先のユースホステル・所かまわず】 |
その2 |
「逆立ち事件」昭和43年Aコンサルタントグループ企業に応募したとき |
に筆記試験・面接試験があり、役員の一人が私に「君にできることはナニか」「はい○ |
○ができます」「ではそれを説明せよ、5分間この黒板で専門語を使わずに説明を」と |
質問攻めの後「他にナニができるのか」訊ねられ、「とっさに逆立ちです」と言ったら |
「ここでやってみろ前に出て】以下省略。応募者は上は○○博士、元社長・部長、下は |
ヒラでした。ヒラの私を含めて50名中12名パスしました。何せこの会社は所謂今日 |
の部長コンサルは明日はヒラに降格、昨日のヒラコンサル部長コンサルに昇格するとい |
う実績主義で学歴は問いませんでした。私の信念は一変し、仕事への使命感が燃えたの |
はこの「逆立ち事件」のお蔭です
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その3 |
近況―歩くこと。私は家の中で泰然として居れず、外ではゲートボールグ |
ループ・ゴルフ・敬老会・などには馴染めず避けてきました。歩くことに関しては例え |
ば風雪時は好んで肴町・青山・月が丘と3〜5キロは歩きます。黙々と時には歌い半ば |
唸りながらです。盛岡ばかりでなく携帯なしで小さい肩掛けバック一つ肩にひっかけ、 |
シアトル・バンクーバー・ビクトリア・ロス―――など行った先は街の路地裏など、 |
“放浪”(寝袋を現地調達)して歩きまわるのが好きです.オレって風の・雪の又三郎 |
かなとーー。
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その4 |
近況―鉄棒の下である女性との出会い―その方は朝6時、運動公園の子 |
ども用鉄棒で左足を上げ右手で支え体の屈伸・ひねり運動をしてます。その後大人用鉄 |
棒で足台を置き、ぶら下がり。自分で30回数えて休みを入れ3回繰り返します。私 |
が手を貸すことがあります。一方、私の鉄棒ったら5回振りもすれば身体ごと崩壊寸前です。 |
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その5 |
この頃――きっと老いてなお芽生える青春というのがあるのではないかと |
思っています。16〜18歳の私はエネルギーだけはあるが先を見てなかったと思います。 |
それに対して今は自ら動揺して歩いてハッとするもの「感動探し」の真っただ中にいま |
す。上の学校に進む意味の【進学】に抱泥しないで、自分がまあ凡庸であっても進んで |
学ぶ進学は自分自身を駆り立てるもの、動機づけを探せとこれを何より優先するよう我 |
が家の子たちに言ってあります。私の昔の進学失敗をバネにして笑い飛ばし、これで良 |
かったんだと自負しています。
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盛岡一校にて |
第3回石桜体操競技会 |
体操部員と |
昭和27年3月 |
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昭和27年 全国高校体操選手権出場時 |
昭和27年 姫神山登山 |
昭和29年7月3日 県体 |
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