体操部中学時代の思い出

         小林泰宏 昭和32年卒(新9回生

                            
                            


  私の兄弟4人は岩中岩高体操一家だった。6才上の陵二(現在東北大工学部名誉教授、石巻専修大
 前学長)は全国の高校体操大会で上位入賞する大活躍、次兄の隆もそれなりに活躍したが、私と弟
 克夫は短期間の同部員で終わった。

  私は小学5年生頃から兄に連れられ体操部に遊びにいっていたので、岩中に入学するや憧れの体
 操部にすぐ入った。中学一年新入生にとって岩高応援団は夜叉軍団の如く恐れ慄く存在だったが、
  体操部の上級生達は皆優しく愉快な部員で指導も丁寧、新しい環境にすんなり溶け込めた。

  同期でもう一人入部した菊地俊一君は、学年で一番小柄で、かなりの訛りも愛嬌があり活発で、
 皆んなから好かれる性格だった。岩高時代は国体にも出場し現在は田野畑交通会長としてトラック
 運送する現役だ。身長もいつのまにか私を超え親交は今も続いている。

  当時全国トップレベルの体操活躍をしていた上級生と一緒の練習は素晴らしい体験だった。
 秋の運動会ではさっそくその成果を披露したり(写真)、体操部顧問の足沢至先生の引率で中1
 から高3までの部員10数名と一緒に姫神山登山したり、その中腹の原っぱで倒立等の体操を競っ
 たり(写真)夏には種差海岸に遠征等、毎日が楽しく充実した1年6カ月の部活だった。体操部員
 連は、なぜか他の猛者連体育部とくらべ文武両道に長けた部員が多く、この疑問に子どもながらに   
 (体操競技は逆立ち、パックテンや空中がえり等、空中がえり技と美技を競うため脳血流量増大、
 脳力も活発になるためだ)と思い定めますます部活に励んだ。
  
  しかし国語で習ったばかりの「吉凶はあざなえる縄のごとし」を身に滲みて体験したのは中学2年
 だった。私は急性化膿性股関節炎という大病を患った。近くの内科医院に入院し、衰弱がひどく免疫
 力と体力補強を目的に連日、高校体操部員が献血に駆けつけてくれた。なにしろ血気盛んな若者の
 新鮮生血液に勝る即効性滋養は他になく、効果てきめん一命を救ってくれた。

  当時、輸血用血液は売血が普通で、生活費や遊興費等の捻出のために売血する素性不明の血液製剤
 多かったらしい。遠い過去に血液製剤で治療した人が数十年後、肝硬変や肝ガン等の致死的な病を
 続発し、B型や特にC型肝炎ビールスで汚染された血液が原因と判明したのは近年のことであり現在も 
 この医療問題は続いている。

  献血を呼びかけた足沢先生の要請に応じ私に注入された血液は、純血無垢ド真面目と評判の体操部
 員の面々のものだったため、幸い最近の血液検査でもC型肝炎ビールスは陰性で、将来このビールス
 による肝ガン発症の心配から解放からされ安堵している昨今です。
 
  医師の道に進んでから自分の中学時の病について色々検索したが、当時としては最適の治療法を施
 していただいた、と現在も納得し、治療に奔走した父とそれに応えた足沢先生をはじめ体操部先輩
 皆様に、感謝の念を当時から今まで忘れず持ち続けていることを記して筆を擱きます。


 
 追記:1
  入部3年先輩の斎藤裕さんは東北大医学部に現役入学した秀才、矢巾町で開業。私は隣の都南村で
 開業の是非について相談のため斎藤医院を訪れ、中学以来数十年ぶりに再会したが昔と変わらぬニコ
 ニコ顔で 応対してくれた。以来、同じ紫波郡医師会員として後輩の私をひきたててくれたり親しく
 お付き合いいただいた
 71歳で鬼籍に入り、少し早すぎた、と悔やまれる。


 追記:2
  入部4年先輩の村上昇さんはオリンピック選手候補に一時なったほどの名選手で、近年はグランド
 ゴルフに熱中し大会でも大活躍だったが、最近眼病を患って不調とのこと、再起を念じています。
 私も昇さんに用具を借りルールを懇切丁寧に教わりながらの初体験以来、数回同伴プレイしたのだが
 中学時に体操を指導してくれた先輩達を思い出した。私の残り人生の大きな楽しみの一つにグランド
 ゴルフを加えてくれたのは村上先輩です。







秋の運動会 中学2年の晩春 姫神山
登山中腹の原っぱで
姫神山登山 昭和27年 昭和27年3月
体操部一同
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