「岩中体操部の思い出」     佐々木靖  昭和28年卒(5回生)


     岩手中学校への入学は、終戦後間もない食糧事情の悪い頃で(今では考えられない
    混沌とした時期でした)、岩泉から出てきた私は外加賀野の岩中の寄宿舎に兄の京一と
    入寮しました。寄宿舎から岩中まで片道40分の距離を高下駄を履いて通学したことが、
    今でも印象強く残っています。特にも、下校時に空きっ腹であの長い本町通りを寄宿舎
    まで帰ることは、子供ごころにも辛いことでした。


     岩中の体操部に入ったきっかけは、雨天体操場で吉川さんや四戸さん等、諸先輩の
    マット運動の練習を見学したことがきっかけでした。その頃は足沢先生が勤務する少し
    前で、前澤先生という方が体操部の顧問だったように思います


     当時は今と違って簡単に用具を買ったり、部品を取り換えたりすることが難しい時
    代で、自分たちで用具を工夫したり作り直して練習していたのでしょう。古い平平行棒
    は丸太ん棒を削って作ったようなバーを、取り付けていた様子が記憶として残っていま
    す。また、盛中(盛岡一高)に足沢先生や上級生の人たちに連れられて練習に行ったこと
    など懐かしい思い出です


     部活動といえばー体罰とか暴力とかーのイメージが今の時代でもありますが、当時の
    岩中はそのようなことは全く感じられませんでした。狭い講堂みたいな体育館(雨天体
    操場と呼んでいたように思います)で、剣道部・卓球部・バレー部・バスケット部・ホ
       ッケー部・体操部がひしめき合って、練習に励んでいたことが懐かしく思い出されます。
    また、運動会での組み体操、特にもピラミットでの崩れる瞬間は今でも実感としてあり
    ます。また、姫神山の登山や、水沢での高総体で水沢小(現水沢市役所)の校庭で徒手体
    操(床運動)を行ったときバック転で頭を打ち痛かったこと、京都のインターハイでは米
    持参だったことなど、今回の原稿を依頼されて昔にタイムスリップしたひと時を過ごす
    ことができました。足沢先生はじめ諸先輩の皆様には、大変お世話になり良い思い出を

     作って頂いたこと、紙上をお借りして感謝申し上げます。







昭和27年3月 盛岡一校にて 昭和26年体操部 昭和27年 姫神登山 体操部員一同
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