法政二校に勝利した その時     地元 盛岡では

岩手高校が先取点をあげた8/10午後1時半すぎ、地元盛岡では折悪しく
強い雨が降りはじめた。

市内肴町東大通りの商店街では軒並みラジオをかけっぱなしラジオのわきに座り込んだ
店の人がふだん大事なお客さまも何のそのの有さま。雨で思わぬもうけをしたのは市内の喫茶店、レコードを甲子園野球放送に切換え、雨でかけこひむお客さんに特別サービスの商魂たくましさ、コーヒー1杯が2杯になりほくほく顔。

所用のため甲子園まで出掛けられなかった岩手高校山中校長、大沢川原の自宅でラジオを抱えて初出場の生徒の熱戦ぷりにヤキモキ、ヤキモキ1投1打に身を入れていた山中校長も勝利の放送をあとに学校にかけつけ、ヒッキリなしにかかってくるお祝いの電話の応対に"さっそく電報を打ちましたョ"
満面喜びをたたえていた。
山中校長はよくやってくれました"と感激をこめて次のように語った。
愉快です。よくやってくれました。
あのような大観衆に囲まれがらあがりもせず自己のペースを保ち終始学生らしいプレーを続けてくれたことは、日常生活でつちかわれた団結力とゆとりのある精神力によるものでしよう。

初陣の岩手高校が法政二校を破った…思わぬ勝ち越しに喜びは大きい。

その一つ盛岡市茅町(現材木町)の村川投手の家では父の徳之助さんが盛岡酒類組合へ出勤して留守だったが母キンさん(42)兄公助さん(20)弟充剛君(16)試合開始を待ちかねて1時間前から茶の間のラジオを囲んでいた。
母キンさんは奥羽大会のスコアを書いた紙を片手に鉛筆で得点をしるし、村川投手の1投1打に一喜一憂 妹の美貴子ちゃん(10)も野球がわからないながらもお母さんのそばに座って兄さんたちのあげるガイ歌に
「もう勝ったの」といいながら手をたたいて喜んでいた。

1回表に無死満塁から先取得点をあげた時一斉にワー″という喜びの声をあげていた。
試合が始まると知人から「勝つようお祈りしています」という電話がしッきりなしにかかり、勝利と決ってからは「おめでとう」という電話がしっきりなし。近所の人が続々とお祝いにつめかけ、お母さんはうれしさをかくしきれない顔で「あの子もどんなにうれしいでしょう有難うございました。お陰さまでした」と繰返していた。
兄の公助さんは早速お祝いだと甲子園へ祝電を申込み、家中喜びにあふれていた。