上記字形は記念タオルからコピーしたもの
昭和30年8月9日 午後4時 開会式 入場行進の予行練習 西中国代表の岩国工校のユニフォーム "GANKO" ガンコー岩手では岩高(ガンコー)と呼ばれて 慣れ親しんでいる岩高ナインは「お株を取られたと」大爆笑 宿舎の西宮市の三福旅館の主人 池田吉次郎 すっかり岩手高校アァン 試合の当日には神戸にある勝負の神様 猿田彦神社と日頃信心している京都の伏見稲荷に 必勝を祈りに行くといってきかない。伏見まで電車で往復4時間もかかる道のりだが 「初発の電車に乗り、試合までには帰ってスタンドに応援に行きます」と71歳の老人のこの 熱の入れ様に一同感激した。 応援団鎌田君をはじめ応援団が三尺の大ノボリをもって来阪、また対阪急戦のナイターのた め下阪した 南海円子、小武方選手などが激励にあらわれたり、 激励電報が3、40通舞いこんだり、しだいに盛りあがる大会気分に各ナインの士気は 鼓舞される。 朝日会館の茶話会で疲れて寝てたのを9時ごろ爆撃したのは激励電報の山、山中校長の 「石桜精神を発揮せよ」や『アガることなくズクを逃がさずケロットして頑張れ』
岩手県人会からおくられたスイカ、サイダー、ジュースをたいらげ、夕方、宿の心づくし のテキ、カツをたいらげ、夕方顔を見せた小武方に激励され、川村監督から最後の作戦指導を 受けたのち、愛用ののグローブやスパイクを心おきなく手入れして各ナインは第1戦勝利 を夢みながら午後9時眠りにはいった。 |