部の誕生は、昭和24年である。以後29年まで毎年高総体の決勝戦に進むのだが、優勝出来ず2位に甘んじる年が続いた。しかし31年は士気があがり東北大会に進出できた。 仙台で行われたこの大会は準決勝で山形代表の寒河江高校を8−3で退け、盛岡一との決勝戦に持ち込んだ。善戦したが6-7の僅少さで敗れ優勝を逸した。 その後34年の高総体で2位となり、42年の県体でも2位になった。しかし部員の確保も難しく不振をかこつことが続いた。 50年代には準々決勝に進出したこともあるが敗れている平成元年と平成3年にはベスト8にはいり、4年には高総体で準決勝に勝ち3位に入賞した。 その後はまた1回戦負けが続いている。 今後の奮闘を望んでやまない。
石桜70年誌 クラブ活動・各部の活躍より引用 |