夢の跡 夏草や つわものどの 夢の跡 | |
兵ではないが、私の夢の跡を振り返ってみると、グライダースポーツの練習から滑空訓練と変わった。 |
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最近ではハンググライダーが盛んのようだ。 | |
青春の若い血をたぎらせた飛行場は、今どうなっているだろうか。 |
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観武ケ原 | |
初めてグライダーに搭乗したのは観武が原の大原野だ。岩手山ろくの大平原だ。 | |
西の空を真赤に染めた夕日が、南昌山の陰に沈んでいく。 | |
しばらく暗黒の原野となり、一物も見えないようになってしまう。 | |
姫神山の肩に、ちょっぴり頭を出した光が、どんどん大きくなって、 | |
真っ赤なお月様がこうこうとして昼のように辺りを照らして明るくなる。 | |
広々としたあの原野が、私が勤務した城北小学校を中心として、大市街地に発展した青山町、月が丘、みたけ、運動公園通り、 | |
スケート場、学園と、あの観武が原の大原野は一大変ぼらをとげて、思い出となるものは何一つ残っていない。 | |
跡地に立った城北小学校に教頭として勤務したのも、何か因縁のようなものを感じた。 | |
鶯宿滑空訓練所 | |
中学生時代、勤労奉仕で切り開いた滑空場。今はラグビー場となっている。 | |
宿泊は青空寮だったが、今は跡形は一つも残っていな。 | |
もう少し広けければ三級滑空士の訓練ができたと思うが、少し狭かった。 | |
苗ほぎりぎりまで飛んできたものだった。 | |
南畑小学校 |
今はその邪魔だった苗ほに、鉄筋コンクリートの立派な小学校が建っていた。 鶯宿滑空訓練所の現在は、雫石町営グランドと南部富士見ハイツになっている |
六原滑空訓練所(六原農場) | |
師範学校一年生在学の夏、新設の地方滑空訓練所が六原にでき、県学務課から勧められ、学校長の許可が出て二級滑空士の | |
訓練所に入所した。 | |
六原訓練場は農地だった所を滑空場にした10万坪の広さだった。 | |
入所して1週間だけの訓練生活で青森に行った。 | |
今は岩手県立農業短期大学校となり、見違えるような立派な校舎と設備になっていた。 | |
当時の建物はすべて取り払われてなかった。 | |
この便所のあった辺りだが、広々とした駐車場となっていた。 | |
正面玄関前の案内板と国旗掲揚塔の所は、広場で朝礼をした所のようだった。 | |
朝礼は農業道場らしい朝礼で、朝の精神訓話が長々とあったように記憶している。 | |
滑空訓練では朝の無風地帯が、一番好い条件の時間であるが、長々とした訓話には困惑したものだった。 | |
後で滑空訓練生だけ、短い時間の参加に改められた。 | |
学校前の道路を隔てた所に美しい庭園が見えた。ここに青年師範学校宿舎があった。 | |
そこから十分ばかり歩いた所に、滑空場があったように思い、歩いて探した。 | |
5万坪と5万坪の農地の中の木を切って、10万坪の滑空場だったはずだが分かちなかった。 | |
防風林に囲まれた滑空場の中にいれば広い面積に感じたが上空に飛び上がると広い面積はなかった。 | |
青森飛行場では今も農業庫として使われていた。 | |
六原では40数年たって区画の防風林は残っていたが、こが滑空場跡だということが分からなかった。. | |
このぶどう畑が滑空場跡かと辺りの様子を見ながら見渡したが、はいっきりしたことが分からなかった。 | |
しかし、この辺であろうとは、間違いでないと思いつつ帰ってきた。 | |
帰りに振り返って見ると正門があった。懐かしい門だった。 | |
一度けだったが、両脇に桜並木があり、ここに並んで終了生を手を振って見送ったことがあった。 | |
小人数だったが退場する訓練生の見送りが心にしみ印象的だったことを思い出す。 | |
私のここでの生活は1週間、本人には知らせず実施した検定に合格して青森に回された。 | |
試験官は有名な小田島特級滑空士だった。 | |
仙台の航空機乗員養成所で二級滑空士の試験に合格し、帰りに立ち寄った地であり、あれから45年たっているのである。 | |
桜は咲いていなかったが、桜並木道をバックに写真を撮ってきた。 | |
岩手県立農業大学 | |
青森・油川飛行場 | |
若手三人が青森市油川の青森飛行場で訓練することになった。二級滑空士の訓練の大半は、この青森で過ごした。 | |
その油川に、おいっ子に連れられて昭和63年夏、思い出の多い飛行場を訪れた。 | |
あの30万坪の飛行場は、新興住宅地となっていて、新しい美しい建物が並んでいた。 | |
田んぼとの境に、飛行場を取り巻いていた大ぜきらしいものの跡が見えた。 | |
立派な中学校が建っていた。土地の人に聞き開き、ようやく格納庫を見つけた。あのころは飛行機が一機も格納されてなく、 | |
囮の木製飛行機が入っていた。今は農協の倉庫となって、肥料袋が積まれていた。寂しかった。 | |
格納庫前に整列して、気合いをかけ合ったことを思い出した。 | |
飛行場の帰り、岩木山の中腹まで車で行った。その中腹からハンググライダーで飛んでいる人と会い、話し合った。 | |
熱心な話だった。とても懐かしい気持ちだった。 | |
仙台飛行場 | |
航空機乗員養成所。ここでの訓練は一番つらかった。 | |
たった四、五日の訓練だったが、食料が少なく、お握り一日一個で過ごさなければならない日もあった。 | |
六十万坪の飛行場から飛び立つと、仙台湾と国道と田んぼが美しく見えた。 | |
日曜日だった。滑空士の学課と実地のテストがあった。 | |
養成所の訓練生がたくさん出て来て、私たちのテストの様子を見ていた。今でも、ここの飛行場には乗員養成の学校があるようだ。 | |
テレビで見た。昔ほどではないと思うような広さだったが、今でも健在であるように思われた。 | |
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