昭和20年(1945)
   旧制17回生前期

   ※ 戸嶋正夫昭和20年11月に復員し母校岩手中学に復職
      昭和19年に2回目の応召、広島・宇品の船舶部隊に配属されたが、原爆前に
        転属となり熊本で終戦。


 終戦
    岩手にもラクビー復活の機運が盛り上がる。

   終戦から2ケ月足らずの昭和20年10月24日に関東ラクビー協会が活動を始める。
   これに力を得て岩手県ラクビー界も岩手中学、盛岡中学OBの有志が集まって
     復活の準備を開始する。
   岩手中学よりOBの戸嶋正夫(旧制2回生)、中島清一(旧制4回生)
     中村忠雄(旧制7回生)、鷹木立雄(旧制9回生)が参画。


  昭和21年(1946)
   旧制17回生後期


  岩手県ラクビー協会設立

   故近藤頼一(当時岩手県体育主事)が中央の指導により地方体育振興のため各種目の
   代表者による岩手県体育協会設立準備会を開催し、ラクビー代表者とし戸嶋正夫
     らが出席。
   戸嶋正夫他、岩手中学校OBと盛岡中学OBの有志が中心となりラクビー協会を
     設立した。

   会長に三田三郎、理事長に戸嶋正夫を選任し、事務局は東北配電(昭和26年より
    東北電力)に置いた。

   昭和21年5月12日 岩手医専グランドでラクビー協会設立記念大会を開催した。

  ※ 盛岡工業高校ラクビー部設立
   昭和23年まで盛岡工業、昭和24年~27年迄高松高校、昭和28年より再び
      盛岡工業
   
   岩手中学OBの松見得明(旧制1回生)がラクビー部部長に就任。
   昭和23年日体大で近代ラクビーをマスターした岩手中学校OBの大澤靖
     (旧制15回生)(後に岩手大学名誉教授、岩手県ラクビー協会会長)が加わり短期間
   で常勝盛岡工業高校ラクビー部を築き上げた。

  

    ※ 盛岡工業高校ラクビー部設立

    岩手県ラクビー協会設立記念大会
     昭和21年5月12日 医専グランド
      岩手中学校17対0盛岡工業(盛岡工業初試合)

    全国中学校大会岩手県予選
     昭和21年9月24日~26日 医専グランド
      岩手中学6対盛岡中学
      岩手中学21対0盛岡工業

  昭和22年(1947)
   旧制18回生

    ※ 黒沢尻工業ラクビー部設立
    ※ 黒沢尻北高ラクビー部設立
    ※ 宮古高ラクビー部設立
    ※ 一関一高ラクビー部設立

    春季盛岡中等専門ラクビー大会 
     参加校 岩手中学校、盛岡中学、盛岡工業
      昭和21年5月5日 医専グランド
       岩手中学校14対3盛岡工業
      昭和21年5月7日 医専グランド
       岩手中学校23対0盛岡中学

    春季岩手県中等学校ラクビー大会
     参加校 岩手中学校、盛岡中学、盛岡工業、黒沢尻工
      昭和21年5月31日医専グランド
       岩手中学校28対0盛岡中学
      昭和21年6月1日
       岩手中学校6対6盛岡工業

    岩手県7人制ラクビー大会
       主催 盛岡工専ラクビー後援会
     後援 盛岡工専、岩手日報
      昭和21年7月6日医専グランド
       岩手中学A6対3黒沢尻工A
       岩手中学B20対0盛岡工業B
       岩手中学C0対14盛岡工業A
      準決勝
       岩手中学B不戦勝岩手中学A
      決勝
       岩手中学B6対0盛岡工業

   第2回国民大会岩手県予選
    参加校 岩手中学、盛岡中学、黒沢尻工、黒沢尻北
     昭和21年9月27日 医専グランド
      第1回戦
       岩手中学39対3黒沢尻工
         決勝
       昭和21年9月28日
        岩手中学6対3盛岡工業

    第2回国民大会東北予選
     参加校 秋田工、仙台商、青森中、岩手中学
      昭和21年10月4日医専グランド
       岩手中学9対6仙台商
        決勝
         岩手中学3対33秋田工

    全国ラクビー大会岩手県予選
     昭和21年11月8日 医専グランド
      1回戦
       岩手中学47対0盛岡中学
      2回線
       岩手中学6対12盛岡工業

昭和22年の試合の様子は「石桜」第44号で

  昭和23年(1948)
   新制1回生


   この年から、学制改革により中等学校の呼称は無くなり、高等学校に変った。

   盛岡工業に大沢靖(岩手中学OB、日体大卒業)、黒沢尻工業に伊伈というラクビー
     の虫が着任岩手県ラクビー界に大きな影響を与えるようになった。

   その後、岩手県の高校の王座を岩手高校から奪い取ってしまう。


    ※ 盛岡工業に大差で軍門にくだる。
   岩手県高校ラクビー大会
    昭和23年6月 医大グランド
     岩手高校11対18盛岡工業

   第3回国民体育大会岩手県予選
    昭和23年6月 医大グランド
     岩手高校0対49盛岡工業

   昭和24年(1949)
   新制2回生
     ※ 岩谷堂農林高ラクビー部設立
     ※ 水沢高ラクビー部設立
     ※ 盛岡農業高ラクビー部設立
     ※ 平舘高ラクビー部設立
     ※ 宮古水産高ラクビー部設立

   盛岡市制60周年記念 7人制ラクビー大会
    昭和22年5月5日 医専グランド
     参加校 岩手高校、盛岡1高、高松高校(後の盛岡工業)
    第1回戦
       岩手高校B6対0高松高校B
    第2回戦
     岩手高校A29対0盛岡1高
    第3回線(準決勝)
     岩手高校3対6高松高校
    決勝
     岩手高校27対3高松高校A 岩手高校堂々優勝する。

   第1回春季高校総合体育大会
    昭和22年6月10日~11日 医専グランド
     参加校 岩手高校、盛岡1高、高松高校、和賀高校(後の黒沢尻工業)、黒沢尻高校、
           一関高校、水沢高校、宮古高校
    第1回戦
     岩手高校46対0宮古高校
    準決勝
     岩手高校59対0黒沢尻高校
    決勝
     岩手高校53対0和賀高校 第1回高総体 岩手高校優勝

岩手県高等学校体育大会(ラクビーAブロック)優勝校一覧(第1回生~第30回迄)




優勝時のメンバー
池野和夫(新2回生)
第1回 岩手県高校総合体育大会(ラクビー)
優勝校 岩手高校ラクビー部のメンバー




優勝時のメンバー 和賀高(黒沢尻工業)との対戦風景




新2回生ラクビー部例会 平成元年1月21日 於 金田一温泉仙養館にて
<拡大写真>写真の上をクリックしてご覧ください

剛毅 清廉の師 「戸嶋正夫先生」 池野 和夫(新2回生)  石桜70年誌より
                  ラクビー生活を顧みて伊五澤 富雄(新2回生)


   練習試合
    仙台一高戦
     昭和22年8月21日 医専グランド
      岩手高校24対0仙台一高

     保善商高戦
      昭和22年8月28日 花巻グランド
     岩手高校17対14保善商高


   岩手県民体育大会兼第4回国民大会岩手県予選
    昭和22年9月16日~19日 医専グランド
     参加校 岩手高校、盛高、高松高校、柏高(後の盛岡農業高)、和賀高、黒高、
              一関高、水沢高、岩泉高、宮古高
    第1回戦
     岩手高校62対0宮古高
    準決勝
     岩手高校6対6高松高
      ベナルティ岩手高校8 高松高10
    決勝
     岩手高校8対6和賀高
      再び優勝旗を獲得、はれの東北大会の出場権を得る。


   第4回国民大会ラクビー競技東北予選
    昭和22年9月23日~25日仙台・評定河原
                 東北大学競技場
     参加校 岩手高校、和賀高、青森高、
         秋田工、秋田南高仙台一高、
           仙台工業、鶴岡高、磐城高
 
     第1回戦
      岩手高校12対6青森高
     準決勝
      岩手高校9対6仙台一高
     決勝
      岩手高校3対50秋田工 決勝で大敗



   岩手県7人制ラクビー大会 仙台・評定河原東北大学競技場
<拡大写真>
    昭和22年10月9日 医専グランド
     参加校 岩手高校、盛高、高松高、柏高、黒沢尻高、一関高
    第1回戦
     岩手高校A21対0黒沢尻高
     岩手高校B 不戦勝 黒沢尻高B
    第2回戦
     岩手高校A11対0盛高B
     岩手高校B0対23盛高A
    準決勝
     岩手高校A12対3一関高
    決勝
     岩手高校A6対5盛高 みごと優勝

   全国新制高校ラクビー競技大会岩手県予選
    昭和22年10月11日 医専グランド
     参加校 岩手高校、盛高、高松高、和賀高、
    準決勝
     岩手高校39対0盛高
    決勝
     岩手高校9対3高松高 岩手県選手権を獲得し、東北大会出場権を得る。


    東北予選には、岩手高校予算不足で不出場。変りに和賀高が出場する。

      この年のメンバーの一人池野和夫(新2回生)は後に岩大ー中央大学を通じて
     ラクビーに取り組み関東大学リーグでは俊足ウイングとして活躍した。


   平舘高等学校開校記念招待 7人制ラクビー大会
    昭和22年11月3日 平舘高校グランド
     参加校 岩手高校、盛高、高松高、平舘高、
    第1回戦
     岩手高校B8対12高松高
    準決勝
     岩手高校A37対0盛高A
    決勝
     岩手高校A14対6高松高 優勝楯は我の手に

   黒沢尻町長杯争奪 7人制ラクビー大会
    昭和22年11月5日~6日 和賀高校グランド
    第1回戦
     岩手高校B6対6黒高B
      ペナルティ2対8で勝つ
     岩手高校A48対0和賀B
    準決勝
     岩手高校A67対0黒高A
     岩手高校B0対21高松高:
    決勝
     岩手高校A14対3高松高 堂々町長杯を獲得す。

昭和24年の試合の様子は「石桜」第46号で

  昭和25年(1950)
    新制3回生
   「石桜新聞」創刊号発行


      ラクビー 高校2強時代スタート

     戦前から長い間トップチームとして岩手に君臨した岩手中学ー岩手高校に
     息切れが見られ高松高校(盛岡工業)の巻き返し
     これに新鋭の黒沢尻工業がようやくチーム力を充実させて
     のちの岩手県下の2強時代がこの年からスタートさせた。


    春の部
     盛岡市民大会7人制ラクビー大会
      昭和25年5月5日 医大グランド
     第1回戦
      岩手高校A8対0盛高A
     第2回戦
      岩手高校A6対6盛高 反則勝ち
     決勝
     岩手高校A0対12高松高A  惜敗する。

     第2回岩手県高校総合体育大会
      昭和25年6月2日~3日、6月9日~11日 花巻温泉グランド、和賀高校
     第1回戦
      岩手高校6対黒高
     第2回戦
      岩手高校6対9和賀高

    秋の部
     国体予選及び岩手県民体育大会
      昭和25年9月8~10日 医大グランド
     第1回戦
      不戦勝
     第2回戦
         岩手高校83対0平舘高
     準決勝
      岩手高校6対22和賀高 大敗する。

     全国高校ラクビー大会岩手県予選兼黒沢尻町長杯争奪大会
      昭和25年11月3日~6日 和賀高校グランド
       岩手高校6対16和賀高

昭和25年の試合の様子は「石桜」第号で

  昭和26年(1951)
    新制4回生

    盛岡市民体育大会
     昭和26年5月5日~6日 医大グランド
      岩手高校18対3柏高校(盛岡農業高)
       決勝
        岩手高校14対10高松高  勝った。体力を誇る高松に勝った。

    第3回岩手県高校総合体育大会
     昭和26年6月1日~4日 花巻小学校グランド
      1回戦
       岩手高校6対9宮古高 あゝ無念!優勝候補随一の岩手高校が名もない、歴史も
                   新しい宮古高校に負けるなんて。
                   誰が考えられるだろう。万人が耳をうたがう。 
                 大罪をおかした岩手高校はじまっていらいないことである
    県民大会兼国体予選盛岡地区ラクビー予選
     昭和26年7月25日 医大グランド
      岩手高校9対5平舘高 出場権を得る

    仙台一高戦
     昭和26年8月16日~17日 医大グランド
      遠征して来た仙台一高ラクビーと対戦
       8/16  岩手高校と盛岡一高との混成軍36対3仙台一高
       8/17  岩手高校23対3仙台一高

    合宿
     昭和26年9月7日~11日

     県民体育大会兼国体予選
      昭和26年9月14日 医大グランド
       第1回戦
        岩手高校56対0一関
       準決勝
        岩手高校0対8高松高 ついに破れ去った。苦労もむなしかった。

     全国高校ラクビー大会岩手県予選
      昭和26年10月26日 医大グランド
       第1回戦
        岩手高校6対6黒高 ペナルティ勝
       準決勝
        岩手高校0対20高松高 再度高松高に覇を握られた。 
                    あゝかくして今年も終った。

昭和26年の試合の様子を「石桜」48号で

  昭和27年(1952)
    新制5回生



新5回生ラクビー部 卒業アルバムより
<拡大写真>

    第4回岩手県高校総合体育大会
     昭和27年5月30日~6月2日 医大グランド
      第1回戦
       岩手高校 不戦勝 岩泉
      第2回戦
       岩手高校6対3盛農
      準決勝
       岩手高校24対0盛一
      決勝
       岩手高校21対黒沢尻工  3年ぶりの優勝

    国体東北予選兼東北選手権大会
     会場 仙台
      岩手高校0対20秋田工

    第32回全国高校ラクビー青函岩予選
     昭和27年11月1日~3日 医大グランド
      岩手高校11対0函館西部高
     決勝
      岩手高校0対高松高

  昭和28年(1953)
    新制6回生


    盛岡市民体育大会
    昭和28年5月4日~5日 医大グランド
     第1回戦
      岩手高校12対0盛岡一高
    決勝
   岩手高校3対盛岡工業  
         体力誇る工業に無念なから破れた

  岩手県高校総合体育大会
   昭和28年5月23日~25日 30日~31日 
                         医大グランド
    第1回戦
     岩手高校12対0宮古水産
    準決勝
     岩手高校0対6盛岡工業  
      またも敗退。苦労もむなしかった。


新6回生 ラクビー部員
<拡大写真>
     岩手県民大会兼国体予選
      昭和28年8月14日~16日 医大グランド
       第1回戦
        岩手高校12対0宮古水産
       第2回戦
        岩手高校9対0盛農
       決勝
        岩手高校3対6黒沢尻工  
       重量FWと体力を誇る黒沢尻工業に惜敗。苦労もむなしかった。
     岩手大学との定期戦
      28年10月12日 医大グランド
       岩手高校3対0岩手大学
     全国高校ラクビー大会岩手県予選
      昭和28年10月30日 医大グランド
      第1回戦
       岩手高校0対0黒沢尻工 抽選負け
        不運にも天は我に味方せず、苦戦もしながら敵の重量FWを押し我が校FWの
          奮闘すばらしく80%の球をとって敵陣に殺到し、チャンスをを作りながら
        1トライをも上げる事が出来ず、不運にも抽選負け
        

昭和28年の試合の様子は「石桜」第49号で

  昭和29年(1954)
    新制7回生





黄金ラクビー場
<拡大写真>
  ラクビーの隆盛と共に要望が高まり、昭和29年
 岩手大学学芸部のグランドを専用グランドに改良
 県内大会はもとより社会人・大学高校と各東北予選。
  を行った
 昭和40年5月、県立盛岡三高新設に伴い、同校の
 グランドとして明け渡した。

  旧師範学校陸上グランドをラクビー専用として
  承認、市内ラクビー部員の奉仕で改装し、
  唐松に囲まれた水はけの良いグランドとして
 当時は東北一と好評あった。

 鉄骨造スタンドが国鉄盛岡工場から寄贈された。


    ※ 高田高校ラクビー部設立

    今年こそは打倒盛岡工業の信念にもえ、春風そよぐ高田松原に合宿
    血と汗にまみれて練習に励んだ。

    盛岡市民体育大会

     昭和29年5月2日~3日 医大グランド
     第1回戦
      手高校 不戦勝 盛岡一高
     決勝
      岩手高校0対20盛岡工業  強敵盛工の強力FWに圧倒され無念にも破れた。

     岩手県民大会兼国体予選
      昭和29年7月 黄金ラクビー場
       第1回戦
        岩手高校46対0岩谷堂高
       第2回戦
        岩手高校6対0個宮古水産
       第3回戦
        岩手高校8対3黒沢尻工
       決勝
        岩手高校0対9盛岡工業 又しても盛工にやられた。

     岩手県高校総合体育大会
      昭和29年9月10日~12日 黒沢尻工業グランド
       第1回戦
        岩手高校3対3黒沢尻北高 辛くも抽選勝ち
       第2回戦
        岩手高校5対0宮古高
       決勝
        岩手高校3対8盛岡工業 又も盛工に惜敗

     全国高校ラクビー選手権大会岩手県予選
      昭和29年10月16日~17日 黄金ラクビー場
       第1回戦
        岩手高校 不戦勝 水商
       準決勝
        岩手高校6対3黒沢尻工 東北大会兼全国大会東北地区予選大会の出場権獲得。

     東北大会兼全国ラクビー選手権大会北東北予選大会
      昭和29年10月30日~31日 11月1日 黄金ラクビー場
       第1回戦
        岩手高校9対9石巻商 惜しくも抽選負け。
         あヽ残念無念。春から3回の合宿練習、ボールのみえなくなるまでグランド
         を走りまわって練習したがそれも実らずに終わってしまった。

昭和29年の試合の様子は「石桜」で




27.5.30高体蓮優勝
1年の時
高校2年の時 27.5.4市民大会
医大グランド
27.5全日本県予選
高松高戦
27.9.28
東北選手権大会
宮城野ラクビー場



27.10.12
対盛工戦
27.10.13 新7回生卒業アルバムより

  昭和30年(1955)
    新制8回生















<拡大写真> 写真の上をクリックしてご覧ください
吉田 哲雄提供


   寒風が身にしみるて来る晩秋の頃から新たなる希望と共にラクビー精神を心に
    秘めて打倒盛岡工業の信念にもえロングランニング・柔軟体操等、骨身をけず
  る様な猛練習を始めた。

   冬休み終わり卒業式も過ぎ、春風そよぐ春休み、
  我々は日本大学ラクビー部主将古川七郎先生を東京より部長として迎えて、春まだ
  寒い宮古に第1回の合宿を3月23日より7日間血と汗にまみれ先輩の築いた偉業を
  つがんと、一同猛練習に屈しもせず一生懸命励んだのである。


    盛岡市民体育大会
     昭和30年5月1日~3日 黄金ラクビー場
      第1回戦
       岩手高校医専34対0盛岡農業
      決勝
       岩手高校3対6盛岡工業 またしても宿敵盛岡工業に無念ながらも惜敗

    岩手県高校総合体育大会盛岡地区予選
     昭和30年5月7日 黄金ラクビー場
      岩手高校9対盛岡農業 盛岡工業、盛岡一高と共に代表となる。

    岩手県高校総合体育大会
     昭和30年5月27日~28日 宮古市ラサ工業グランド
      第1回戦
       岩手高校6対0黒沢尻工業
      第2回戦
       岩手高校21対3宮古高
      決勝 前夜からの雨のため盛岡に帰って決勝戦
       昭和30年6月5日 黄金ラクビー場
        岩手高校3対9盛岡工業 決勝戦で又しても敗れる。我が校は雨と学校行事の
      遠足のため宮古より帰ってからの練習がおもうように行かず練習不足で大敗する。


    夏休み、我々の苦しみの一つ夏期合宿がやってきた。

   しかし部員一同おじけることなく全員参加し諸先輩コーチの元に合宿練習に
     励む。

   8月8日~8月21日(14日間)学校に合宿

   そしてこの試合で春からの恥辱を一掃しようと一生懸命練習に励む。

   朝は6時起床、ロンク゜ランニング、練習、掃除朝食、その後は自由時間。
   午後3時より太陽が西の山に1日の姿を休める時迄、1日も休まず強敵盛岡工業を
   破るために、先輩の残した「一にも二にも練習あるのみ」これを合言葉に
      努力する。


    第7回県民体育大会兼第10回国民体育大会岩手県予選
     昭和30年8月18日~21日 黄金ラクビー場
      第1回戦
       岩手高校44対0盛岡一高
      第2回戦
       岩手高校12対3黒沢尻工業
      第3回戦
       岩手高校6対0宮古高
      決勝
       岩手高校0対3盛岡工業 あヽ無念、奮闘もむなしく又しても惜敗。
          しかし秋田に於いて行われる国体南東北予選に出場できるので我々は
          次の日より鎌倉の国体を夢見ながら黙々と猛練習に励む。

    第6回東北選手権大会兼第10回国民体育大会南東北予選
     昭和30年9月23日~25日 秋田市八橋ラクビー場
         第1回戦
       岩手高校12対5平工業
    国体南東北予選決勝
     岩手高校3対3盛岡工業 抽選負け "あヽ、天我に味方せず"くじ運わるく国体の夢も
                破れ去る歯をくいしばりながら口惜しさにだだ呆然とし
              故郷盛岡へと帰途につく。

       いよいよ今年最後の望みをかけた、そして我々3年生にとって最後の試合と
         なるかもしれない
       全国大会岩手県予選を目の前にひかえ、選手一同3年生は花を飾ろうと、
       又2年生以下は3年生に花道を飾ってやろうと一生懸命の練習に励む。

    第36回全国高校ラクビー選手権大会
     昭和30年10月22日~24日 黄金ラクビー場
      第1回戦
       岩手高校3対0黒沢尻工業
      決勝
       岩手高校3対3盛岡工業  あヽ悲しいかな、かくして今年も終わった。
    春から何回となく夢見たあの晴れの大阪・西ノ宮の大会も火わ消した時の煙のごとく
    消えていった。選手の努力も水の泡となりここに又しても夢破れる。
    不運再度、天我に味方せず。
    この日は絶好のコンデションであり、秋晴れの良い天気の下に敵味方30人、
      今年の覇をめがけて空高くボールを蹴り又スクラムを組みそして思う存分走った。
    しかし我が校は秋田の大会に続いて抽選負けとなる。

    口惜涙にむせびつつグランドに於いて何回なく思い出されて来る1年間の出来事を回想
    後に1人2人と帰っていった。淋しい姿であった。

昭和30年の試合の様子は「石桜」で

  昭和31年(1956)
    新制9回生



第7回東北選手権大会兼国体東北予選
昭和31年8月17日
福島・郡山・開城小競技場所

<拡大写真>


     "己を犠牲にし、同士を英雄にする美しい精神と融和と団結の精神"
"
  各々心しに誓い、春風そよぐ春休み、春期合宿を本校に於いて3月27日から10日間
  血と汗にまみれて先輩の偉業をつがんとして部員一同は猛練習に懸命に励んだ。


    盛岡市民体育大会
     昭和31年5月3日~5日 黄金ラクビー場
     第1回戦
       岩手高校28対3盛農
    決勝
     岩手高校3対15盛岡工業 
   重い相手を押し切ることが出来ず無念にも 敗れた。
   又しても盛工に敗れた。

    第8回 岩手県高校総合体育大会
     昭和31年6月1日~3日 黄金ラクビー場
      第1回戦
       岩手高校26対0水沢高
         第2回戦
       岩手高校0対12盛岡工業  
       又も重量FWを有する盛工に敗れた。
     又しても、あヽどうしても勝てない。


新9回生ラクビー部員
卒業アルバムより

<拡大写真>

    第11回国民体育大会盛岡地区予選
     昭和31年7月18日 黄金ラクビー場
      岩手高校0対8盛一
       歯医者復活戦
        岩手高校6対3盛農  かろうじて盛農を破り県体出場権を得た。
    夏休み我々の今年度最後の夏期合宿がやって来た。
    部員一同、もまれにもまれながら全員、諸先輩のコーチのもとに合宿練習に励む。
                               (8月6日~15日 於本校)
    春からの恥辱を今ここに晴らしてくれんと我々は練習に練習を重ねた。

    第8回県民体育対兼第11回国民体育大会
     昭和31年8月17日~19日 黄金ラクビー場
      第1回戦
       岩手高校 不戦勝 黒沢尻北高
      第2回戦
       岩手高校9対6盛一
      決勝
       岩手高校0対34黒沢尻工業  
      我が校とうしたことか全く闘志なく何することも出来ず・黒工FWの猛烈な
    突っ込みに敗れた。しかし国体南東北予選に出場できるので、我々は心気一転し
      猛練習に励んだ

    第7回東北選手権大会兼国民体育大会東北予選
     昭和31年9月21日~23日 福島県郡山市開城小競技場
      第1回戦
       岩手高校0対24青森商  
     敵のオープンプレイに破れた。しかし敵はまったく見事なアタックであった。

    第37回全国ラクビー選手権大会岩手県予選
     昭和31年10月13日~15日 黄金ラクビー場
         第1回戦
       岩手高校9対3盛農
      第2回戦
       岩手高校3対6黒沢尻工業

昭和31年の試合の様子は「石桜」で

  昭和32年(1957)
   新制10回生


    フアイトに明けフアイトに暮れた1年。
    我がラクビー部はいかに戦い、いかに闘ったか。いざたどらん戦いの跡。


   盛岡市民体育大会
    昭和32年5月3日~5日 黄金ラクビー場
     第1回戦
      岩手高校6対3盛農
     決勝
      岩手高校10対11  
       宿敵盛岡工業に1点差で負ける。

   岩手県高校総合体育大会
    昭和32年5月31日~6月2日
     第1回戦
      岩手高校23対3宮古水産
     第2回戦
      岩手高校0対11盛岡工業
      我々選手一同必勝を期して頑張った
    が敵重量FWを有する 盛工に又しても敗れた。


新10回生ラクビー部員
卒業アルバムより

<拡大写真>

    第12回国民体育大会兼岩手県予選兼県民大会
     昭和32年8月17日~9日 黄金ラクビー場
      第1回戦
       岩手高校46対0一関高
      第2回戦
       岩手高校3対14盛岡工業  あヽ、無念、又しても敗れる。

      第38回全国ラクビー高校選手権大会岩手県予選
       昭和32年10月19日~21日 黄金ラクビー場
        第1回戦
         不戦勝
            第2回戦
         岩手高校26対3盛岡一高
        決勝
         岩手高校0対11盛岡工業  
               ああ何という不運だ。春以来幾度となく夢見たあの晴れの
         「大阪西ノ宮」大会も一片の煙と消える。

昭和32年の試合の様子を「石桜」で

  昭和33年(1958)
    新制11回生


   大量11名の卒業生を送り出しながらも、如何に良く戦い、如何に勝つか。
   この1年間を振り返ってみよう。

   我々は、まだ寒い3月21日~27日まで春期合宿を行い、諸先輩のコーチの下に
     一生懸命練習に励む。


   盛岡市民体育大会
    昭和33年4月27日~29日 黄金ラクビー場
     第1回戦
      岩手高校6対0盛岡一高
     決勝
      岩手高校5対19盛岡工業

   岩手県高校総合体育大会
    昭和33年6月7日~9日 黄金ラクビー場
     第1回戦
      岩手高校24対0宮古高
       第2回戦
      岩手高校3対9盛岡工業


新11回生ラクビー部員
卒業アルバムより

<拡大写真>

    第13回国民体育大会岩手県予選兼岩手県民大会
     昭和33年8月30日~9月1日 黄金ラクビー場
      第1回戦
       岩手高校28対6水沢高
      第2回戦
       岩手高校0対22盛岡工業

    第39回全国高校ラクビー選手権大会岩手県予選
       昭和33年11月8日~10日 黄金ラクビー場
        岩手高校6対3黒沢尻工業
    決勝
      岩手高校0対20盛岡工業 
                  


大阪・西ノ宮ラクビー場
<拡大写真>
  ああなんたる不運。ラクビー部創立以来、夢にまで見て来た
 「大阪西ノ宮」大会もラクビー部一同の懸命の努力にも
  かかわらず本年もまた泡と消え去った。

昭和33年の試合の様子は「石桜」で

  昭和34年(1959)
    新制12回生


   卒業生を送り出した我々は、部員も少ない中でいろいろと苦慮した点もあるが
   一同伝統のあるラクビー部の再興に火と燃える気魄で、新春の合宿をはじめと。
    して練習に励んだ


    盛岡市民体育大会
     昭和34年4月26日~29年 黄金ラクビー場
      第1回戦
       岩手高校24対3盛岡岩手一高
      決勝
       岩手高校3対12盛岡工業  宿敵盛工の重量FWの下に敗れた。

    岩手県高校総合体育大会
     昭和34年6月7日~9日
      第1回戦
       岩手高校8対0水沢高
      第2回戦
       岩手高校41対0盛農
      決勝
       岩手高校3対16黒沢尻工業


   夏休み、やがて夏期合宿
   選手一同お金を犠牲にして鶯宿にて、大学の強豪である日大と全国高校ラクビー
   の第一人者保善高校(東京)と合宿を行う。

   起床4時、ロング・ランニング、練習、掃除、朝食は9時半、その後は自由時間
   午後は2時半より6時半迄猛練習。

   日大及び保善高校とは再度試合を行い、技術的にも大きな収穫あったと
     思われる。

    岩手高校3対33保善高校





岩手雫石・鶯宿グランド
<拡大写真>

    第14回県民体育大会予選
     昭和34年8月29日31日 黄金ラクビー場
      第1回戦
       岩手高校0対盛岡工業  アア無念、又してもやられる。

    第40回全国ラクビー選手権大会岩手県予選
     昭和34年11月15日~16日 黄金ラクビー場
      第1回戦
       岩手高校0対15黒沢尻工業 
         ああ何という不運だ。夢にまで見た「大阪西ノ宮」への宿願もつい去った。

昭和34年の試合の様子は「石桜」で

  昭和35年(1960)
    新制13回生


  大量の8人の諸先輩を送り出した我がラクビー部は、残雪が遠方の高峰に輝く新春の
  4月、我ら部員一同は期待と抱負を胸に秘めて強化合宿に入った。
  部員は伝統ある岩手高校ラクビーの再興に火と燃える気魄で連日きびしい練習に
    励み続けてまいりました。
  我々一同にとって"優勝"という事はどんなに尊いものでありましょう。
  「今年こそは」の合言葉のもとに練習に練習を重ねました。


    第12回岩手県高校総合体育大会
     昭和35年6月4日~6日 黄金ラクビー場
      第1回戦
       岩手高校 不戦勝 黒沢尻工業
      準決勝
       岩手高校24対0盛農
      決勝
       岩手高校0対41盛岡工業


    不祥事発生 廃部
   思いもよらぬ事が部員一同の頭の上に持ち上がってまいりました。
  それは高三のY君他2名が退部するという話しからはじまる。
  こういう話が部長であると戸嶋先生の耳に入り先生の怒りにふれ、事態はますます
  悪化していき。最後には高三全部員が退部という終末になってしまいました。

  8月開催の岩手県民体育大会に出場できなくなりました。


     ※出場できなくなった試合
    手県民大会
     昭和35年8月20日~9月5日 黄金ラクビー場
      岩手高校 不戦敗 盛農

昭和35年の様子は「石桜」で

  昭和36年(1961)
   新制14回生

     第13回生岩手県高校総合体育大会
      昭和36年6月4日~6日 黄金ラクビー場
      第1回戦
      岩手高校3対34盛岡工業

     第13回岩手県民体育大会
      昭和36年8月19日~21日 黄金ラクビー場
      岩手高校0対15盛農

  昭和37年(1962)
      新制15回生

       「石桜同窓会会報」発刊号発行



     岩手県ラクビー界の草分けである我校ラクビーぶは、10余年前の全盛を
     再び我等の手で成し遂げようと全部員"打倒盛工"を胸に秘め、激しい春の
       強化合宿を行った。



   盛岡市民体育大会
    昭和37年5月5日~6日 黄金ラクビー場
     第1回戦
      岩手高校3対13盛岡工業
     3位決定戦
      岩手高校8対8盛農

   第14回 岩手県高校総合体育大会
    昭和37年6月3日~5日 黄金ラクビー場
     第1回戦
      岩手高校62対0久慈高 久慈高校は初出場
     第2回戦
      岩手高校6対36黒沢尻工業


新15回生ラクビー部員
卒業アルバムより

<拡大写真>
            前半互角に戦っていたが、不運にも後半トニイゲッターの
            加藤、戸嶋、大峠が相次いで負傷、大敗

    第14回 岩手県民体育大会
     昭和37年8月26日~9月1日 黄金ラクビー場
      第1回戦
       岩手高校 不戦勝 久慈高  久慈高校不出場のため。
      第2回戦
       岩手高校10対16日盛岡工業 又しても惜敗

    全国ラクビー選手権大会岩手県予選
     昭和11月3日~4日 黄金ラクビー場
      第1回戦
       岩手高校44対0黒沢尻北高
      準決勝
       岩手高校0対28盛岡工業  
         宿敵中の強敵、国体で優勝しいう大偉業を成し遂げた盛工。大敗する。

昭和37年の試合の様子は「石桜」で

  昭和38年(1963)
    新制16回生


    第15回 岩手県民体育大会
     昭和38年8月24日~26日 黄金ラクビー場
      岩手高校0対68盛岡工業


新16回生ラクビー部員
卒業アルバムより

<拡大写真>

  昭和39年(1964)
    新制17回生













二上 憲育提供 <拡大写真>写真の上をクリックしてご覧ください


   もっとも伝統を誇る我ラクビー部を、今年こそは我々の手で復活させようと
   部員一同はりきって春の強化合宿に入った。
   練習は校庭で、瀬川先輩にコーチしてもらった。

   今年はオリンピックの年であり、それも東京で行われることになり
   ラクビーも、大会のスケジュールが大はばに変った。



    第19回 国体岩手県予選
       昭和39年4月11日~13日 黄金ラクビー場
      第1回戦
       岩手高校34対0岩谷堂
      準決勝
       岩手高校3 抽選負け 3盛農

     岩手県高校総合体育大会予選
      試合はリーグ戦でおこなわれ、岩手高校、盛岡工業
        盛岡一高の3校が決まった

    岩手県高校総合体育大会
       昭和39年6月27日~29日 黄金ラクビー場
      岩手高校15対18盛岡一高


新17回生ラクビー部員
卒業アルバムより

<拡大写真>
    盛岡市民体育大会
     昭和39年8月22日~24日 黄金ラクビー場
      岩手高校6 抽選負け 6盛岡一高

    岩手県民体育大会兼全国高校ラクビー選手権大会
     昭和39年10月31日~11月1日 黄金ラクビー場
      第1回戦
       岩手高校対釜石北高校 不戦勝
      第2回戦
       岩手高校0対42黒沢尻工

昭和39年の試合の様子は「石桜」で

  昭和40年(1965)
    新制18回生









    A、B、Cの3ブロック製導入

  昭和40年にはとうとう試合日程を消化するためA、B、Cの3ブロック制に分け、
  岩手県高校大会と県体の成績で入れ替え制をとるようになった。
  岩手県の措置は全国でも初めての珍しい例で、いかに人気があろうというもの。

   現在の参加校は、久慈農水、福岡工業、盛岡農業、盛岡一高、岩手高校
   盛岡工業、宮古、宮古水産、宮古商、釜石北、釜石工業、黒沢尻工業、
   黒沢尻北、専大北上、水沢、水沢一高、岩谷堂、岩谷堂農、
   一関工業、一関一高、大船渡工業の21校を数える。


   盛岡市民体育大会
    昭和40年5月2日~3日 黄金ラクビー場
            黄金ラクビー場最後の試合となる。
     第1回戦
      岩手高校11対0盛農
     第2回戦
      岩手高校0対19盛岡工業

   第17回 岩手県高校総合体育大会
    昭和40年6月5日~7日 水沢高校グランド
     第1回戦
      岩手高校18対0宮古水産
     準決勝
      岩手高校8対9黒沢尻工業


新18回生ラクビー部員
卒業アルバムより

<拡大写真>

    第17回 岩手県民体育大会
     昭和40年8月28日~30日 釜石松倉
      第1回戦
       岩手高校5対14釜石北
      敗者復活戦
       岩手高校6対0盛農

    インターハイ予選
     年月、開催場所不明
      Bブロック
       第1回戦
        岩手高校18対0水沢高
       準決勝
        岩手高校0対0釜石
       決勝
        岩手高校6対6盛農

昭和40年「石桜」

  昭和41年(1966)
    新制19回生


    盛岡市民体育大会
     昭和41年5月1日~5日 
          県営運動公園ラクビー場
      岩手高校3対5盛岡一高

    第18回生 岩手県高校総合体育大会
     昭和41年6月4日~6日 水沢高校グランド
         岩手高校0対28盛岡工業


新19回生ラクビー部員
卒業アルバムより

<拡大写真>


    夏の合宿に入り試合に慣れることを目標に
    県外チームの能代工業、保善高校、日大二高なとと練習試合を行った。


       練習試合
        岩手高校16対10能代工業
        岩手高校6対46保善高校
        岩手高校18対16日大二高

    第18回 岩手県民体育大会
     昭和41年8月27~30日 県営運動公園ラクビー場
      Bブロック
       第1回戦
        岩手高校3対6釜石工業

    インターハイ予選
     第1回戦
      岩手高校46対6専大北上
     第2回戦
      岩手高校3対18宮古商業

  昭和42年(1967)
    新制20回生
    部長 戸嶋正夫先生


   [Aブロックへ」
   これを我が部の目標に、今年こそはと部員一同誓ってシーズンに入った。
   来る日も来る日も汗と泥にまみれながら楕円球を追った。

   そしてその結果を試すべき各試合に臨んだが・・・・
     死ものぐるいで頑張ったが・・・・

   弱い私達を励まし、コーチしてくれた諸先輩、また応援に声をからしてくれた
   応えられず、ずまことに申し訳ありませんでした。


   盛岡市民体育大会
    第1回戦
     岩手高校11対6盛岡一高
    第2回戦
     岩手高校6対盛岡工業

   第19回 岩手県高校総合体育大会
      昭和42年6月3日~5日 宮古高校、宮古商業 
                   両グランド
       Bブロック
      第1回戦
       岩手高校5対30一関工業
      敗者復活戦
       岩手高校26対11黒沢尻北高


新20回生ラクビー部員
卒業アルバムより

<拡大写真>

    第19回 岩手県民体育大会
     昭和42年8月19日~21日 盛岡市運動公園
      Bブロック
       岩手高校11対12岩谷堂農林高  惜敗す。

 
  編集後記

    平成27年度、石桜同窓会顕彰事業はラクビー「闘魂」で、昭和2年我が母校岩手中・高等学校に
  岩手県で初めて導入されてから昭和42年(新20回生)まで、対戦記録やエピソードそして年代別
  代表による「座談会」開催等を実施し石桜同窓会ホームページで顕彰するものでです。

   1部年代(回生)資料不足で写真等掲載されないものもありますが、後日資料、写真等お持ちの
    同窓生がおりましたら同窓会事務局にご一報いただければ追加しますので宜しくお願いします。

  岩手のスポーツ人(岩手日報社編)、岩手県ラクビーフットボール協会発行の「岩手のラクビー五十年
  誌」岩手県ラクビー70年誌「復活を目指して」、岩手県ラクビー80年史「初心にかえり挑戦」
   岩手中・高等学校50年史、石桜70年誌、機関誌「石桜」、大阪大学図書館より
  助力、引用しました。
   ありがとうございました。

   いつの日かラクビー記念誌の発行の参考になればと思います。

                          石桜同窓会ホームページ委員会 赤澤 征夫




顕彰事業/ 戦前Part1||顕彰事業/ 戦前Part2||顕彰事業/ 戦後
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